この日のために一年間お稽古に励み、待ちに待ってむかえた阿伎留神社例大祭。
なんと台風24号の影響で最終日30日宮入れ渡御が中止となる前代未聞の祭礼になってしまいました。
曜日に関係なく三日間行うこの祭礼は、今年めずらしく金土日開催となり、「天皇陛下御在位三十周年」の節目としても多くの人で賑わうであろう予想でした。
28日(金)宵宮は天候に恵まれ、秋晴れの気持ち良い宮出しができましたし、五日市13団体による奉祝囃子もたくさんの見物人で賑わいました。しかし29日(土)は台風の影響で雨模様となり、夜の渡御もビッショリになるほどの荒天でした。それでも土曜日ということもあって、雨のわりには人も出ていました。
当町内では一年前から始まった山車の台輪車輪回り新造計画が進み、彫り物を追加したり、電飾を増やしたりして屋台部分もパワーアップし、お披露目できるところまでこぎつけました。
町内の皆様、囃子連会員、その他多くの皆様のご協力で、立派な台輪車輪部分が完成し、五日市初のハイブリット山車として、29日夜は神輿渡御にあわせて山車曳行を行うことができました。坂の多い地域を巡行しなければならない氏子廻りは、屋台部分を2t車荷台に載せ替えられるようになっています。まさに時代はハイブリッドでございます。
阿伎留神社宮司による入魂の儀をすませ、提灯に火を入れて檜原街道へ曳き出したときには、感無量でした。
五日市の祭礼300年の歴史は神輿渡御が中心であり、山車を引くという習慣がありません。昭和50年まで氏子7町内で囃子連は栄町にしか無く、囃子は置舞台で奉納するのが慣例でした。五日市の郷土芸能といえば神輿渡御の歴史よりも古くから伝えられている五入の獅子舞が代表的なものになっています。
五日市のお囃子は大正6年に留原地区から五日市地区の栄町番場に伝えられたのが始まりです。その後、昭和50年に上町に、平成7年に下町に囃子連が結成されましたが、いまでも囃子連が無い町内では留原囃子保存会さんや、小和田はやし連さんなど、他地域へ依頼して町内を賑やかにしています。
このような歴史の中で、近隣市町村のような山車祭りとは違う囃子文化が育まれ、今日まで続いているわけでございます。これもすなわち、所変われば品変わる、秋川渓谷五日市のお囃子文化なのでございます。
当会ではこの十年、他地域、他団体との交流を深め、五日市には無いお祭りの、あるいはお囃子に対しての価値観を学び、あわせて技術的なことであったり、道具の使い方であったり、様々な刺激を受けて、それを自分たちの継承の力にしてきました。
そして今年、その集大成ともいえる阿伎留神社例大祭での山車曳行が実現しました。山車曳行に関して知識のある団体、または個人の方に、たくさんお力添えを頂き、実現できたものと心に刻んでおります。
当町内の屋台の部分は平成5年に先達の努力により建造されましたが、じつは当時2年ほど車のシャーシを改造した台車にそれを載せ、祭礼で曳いたことがあります。私は若手としてお神輿に携わっていたので、その時の状況や流れなど、詳細な記憶がありませんが、結局その後”曳く”ということが定着しませんでした。一番の原因は情報不足と人材不足により、上手く運用できなかったから、と聞いています。
”祭り事”は”政”でもあります。
すべて物事を筋道を立ててよく整え、人々の気持ちを揃え、志を決めて行う。。
そんな日本のお祭りは、先人が培った日本人らしい智恵がたくさん詰まっているのです。
ある意味、時を経てリベンジとなった今年の山車曳行は、前回の経験を活かして準備されてきました。ありがたいことに今まで交流させていただいた団体または個人の皆様のお力添えがなければ、実現できなかったと思っています。
東京都郷土芸能協会、八王子祭囃子連合会、あきる野市郷土芸能連合会、五日市中学校伝統芸能部後援会など、加盟団体の皆様と築いてきたつながりで、台風による荒天にもかかわらず、皆様が駆けつけてくださり、山車を曳き、囃子を奉納して、記念すべき山車曳行に華を添えてくださいました。
今年始めて、伝統ある引田囃子の若手で結成されたお囃子の会「囃楽睦(そらむつ)」の皆様が、客囃子の他、舵方(歯元)としても山車曳行の一翼を担ってくださり、大きな力になってくださいました。本当に感謝に堪えません。新しい時代の、幕開けの予感がいたします。
大げさな言い方かもしれません、井の中の私の持論かもしれません、お祭りの形態、郷土芸能の形態、人と人、団体と団体の繋がりの形態がここ数年で、目まぐるしく変化している気がします。
お祭りもお囃子も「オラほーが1番」の精神むき出しで、かたや喧嘩腰に他地域、他団体との交流を拒み「オラほーは、オラほーのやり方でいい、それが伝統だ」と開き直る時代は終わり、いまや時代は協働、共有、共存の時代に突入しました。この変化にどう順応していくか、それが会を存続させていく重要なカテゴリーであることに、指導者は気づかなければなりません。
それを実践するための絶対条件が、「相手を認め、相手を尊敬すること」であると、改めて確信しました。