爽やかなお掃除日和に恵まれて、今年も囃子連による上町自治会館の清掃が無事に終わりました。
北朝鮮の核実験に伴う地政学的懸念に包まれ、株や為替も乱高下している不安定な世の中ですが、田舎のお囃子団体はいたって平和で、日曜日の昼下がりに大勢の会員が稽古場のお掃除に参加してくれました。
囃子連によるこの清掃も今年で11年目を迎えました。小学校二年生の最年少会員が生まれる前からやっている恒例行事になり、とっても平和な五日市に感謝です。平和ボケくらいじゃなきゃテケテン太鼓なんぞ打ってられません。女子高生が「ミサイルとばすならwifiとばしてほしいんだけど」なんて言っているくらい世の中が平和でないとお囃子は続けられませんから。
お囃子は芸事といえば芸事ですが、私どものような囃子連は地域と密着して活動していて、融和親睦、人と人との繋がり、あるいは社会教育などの役目が含まれていて、技術うんぬんより、”仲良く楽しく”が一番大切な活動セオリーです。しかし、そこには弱点もあって、”仲良く楽しく”に努力は必要ありませんから、それに甘んじると人間はわがままになります。
フラメンコの先生をしている知人が、こんなことを言っていました。
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芸事を追求しない人はキライ、
ファッションでやる人もキライ、
技術なんか無くてもかまわない、
真っ直ぐに好きで努力する人が好き、
恐ろしい事にその全ての内面が見えてしまう、芸事とは残酷で美しい**
なんとも情熱的な言葉、真っ直ぐに向き合っているからこその言葉です。
お囃子はもちろん芸事ですが、習い事ではありません。お囃子は先生と生徒という関係ではなく、近所のオジサン、オニイサン、オネエサンがあたりまえのように近所のこども達に教えてあげるもので、そこには利害がなく、ギブ&ギブの精神で成り立っています。
私が子供のころは、自転車の乗り方も近所のお兄ちゃんから教えてもらったし、泳ぐのだって近所のお兄ちゃんに「秋川」に連れて行ってもらい、いつの間にか泳げるようになっていました。近所のお兄ちゃんはなんの見返りも求めず、あたりまえのようになんでも教えてくれました。もちろんイイことばかりではなく、ワルイことも仕込まれて、理不尽によく泣かされることなど日常茶飯事でした。そんな関係の中で人との繋がり方を、子どもなりに学んでいたのだと思います。無意識のうちに年上と年下は師匠と弟子という関係をもって遊んでいたのかもしれません。
師匠と弟子は先生と生徒とはちょっと違います。師匠と弟子は親子も同然、深い愛情を注ぐけれど、時には理不尽なことを強いるものです。
人間には「返報性の法則」というものがあるそうです。受けた恩を返そうとする習性のことです。 親に受けた恩は子に返しなさい。 先輩に受けた恩は後輩に返しなさい。 弟に受けた恩は弟の子に返しなさい。 目上の人に直接恩を返せるなんて、思い上がらないように。なぁんて言葉があるとおり、稽古場所のお掃除も返報性の法則で続いていくんでしょうかね^^