なんだかんだいってもやっぱり地元のお祭りは楽しいです。 今年も台風襲来にビビらされて、9月に入ってからは天気予報とにらめっこでした。あきる野三大祭と言われている、二宮、伊奈、五日市で、五日市だけが雨じゃ、なんかちょっと悔しいじゃないですか。
そんな願いが届いたのか、お天道さまが三日間我慢してくださいました。宮入れで神輿が松原横丁へ入った途端にポツポツ降り始めました。お天道様も我慢の限界だったのでしょう。ありがたや、ありがたや。お祭りは雨だと仕事が増えるし、楽しさも半減ですから。
昨年のお祭りは台風のため30日がごっそり中止となり、前代未聞の不完全燃焼で一年間悶々としていたので、今年こそはと誰もが願っていたに違いありません。
28日は宮出しの渡御に加え、恒例の奉祝囃子が、近隣13団体の囃子連により行われました。年々見物人が増えているような気がします。今年は新しい企画として最後の手締め前に、後継者育成を目的に子ども達が弓張り提灯を持って並び、隣町の年番送りのパクリのようなフォトジェニック企画をやりまして、まぁまぁ成功だったのですが、ちょうどクライマックスの時間に檜原行きのバスが来てしまい、3分ほどお待たせしてしまいました。これが五日市警察署の逆鱗に触れてしまい、担当町内東町さんの責任者が翌日警察署からお叱りを受けたそうでございます。ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません。
五日市警察署と秋川消防署の警備警戒には本当に感謝していますが、上から目線で「言う事聞かなきゃ祭りやらせんぞ」みたいなことを言われると、「だったら五日市の防犯協会も、交通安全協会も根こそぎ解散すんべぇじゃねえか」なんて声が聞こえてきたりします。お互い持ちつ持たれつ、認め合い、譲り合い、文化を育もうじゃありませんか。ってか、こんなことは毎年の茶飯事ですので、10月1日に三歩歩いたらすでにお祭り回想録ですけどね。
29日は日曜日ということもあり大勢の見物人で賑わい、桧原街道に敷き詰められた露天商にはたくさんの人だかりが出来ていました。この日、弊会では恒例により「交流の日」と称して、日頃お付き合いさせて頂いている皆様をお招きし、五日市の秋の夜長を楽しんで頂きました。市内からは留原囃子保存会様、小中野囃子保存会様、小机囃子連様、そして五日市社中の代表者様、市外からは東京都郷土芸能協会会長様、青梅囃粋會役員の皆様、大丸囃子保存会様、日野囃子保存会様、中澤囃子連様、そして今年も山車の舵方と囃子の助バチを引田囃楽睦の皆様など、大勢の皆さまが駆けつけてくださり、相互に親睦を深めて下さいました。お忙しい中、お越し下さり本当にありがとうございました。
当会では昨年、山車屋台の腰回りを鉄骨で製作し、トラックと人力の両方で巡行できるハイブリット仕様に変更しました。その造作にご尽力下さった会社の社長さんが、今年こそはとお越し下さり、山車が曳き回される姿をはじめて見ていただくことが出来まして、とても喜んでくださいました。
最終日30日宮入れの渡御も、つつがなく進み、クライマック松原横丁への納めの渡御も、ハイテンション、ローテンション入り混じって粛々と行われました。月曜日ということもあり、前日よりは落ち着いた雰囲気だったと思いますが、最終日はのんびりと、楽しむことに専念し、予定通り山車の巡行も無理なく控えめにして神輿を送ることができました。このへんが近隣の山車祭りとはちがう感覚でして、神輿五日市ならではの祭りの楽しみ方です。当会の若手も30日は神輿へ肩を入れ、お祭りを楽しんでいました。
お祭りは人と人を繋ぐ役割を持っています。おそらく日本のみならず世界中のお祭りもそうでしょう。お祭りは人の心の奥底にある何かを揺り動かして、人々の暮らしを豊にしてくれるものだと思います。
今年の阿伎留神社例大祭も「感謝」の一言に尽きる3日間でした